方向幕工房 横浜市営Ver.


<横浜市営の方向幕に対する基本姿勢>
1.系統=途中経由地
近年できた系統や幕交換を行った車両は丁寧に途中経由地を書く傾向が見られますが、基本的に横浜市営の場合、系統で途中経由地を示していました。
そのため、極端な例だと横浜駅西口から緑車庫に行くのに1,12,36,39とありましたが、全て途中経由地なし。一部例外があるのは…
2.同じ系統で途中経由地が違う場合
なのです。上記例でいえば1系統の洪福寺経由、36系統の西菅田団地経由です。現在の例で言えば23系統の奈良北団地行き(長津田駅/稲荷前)です。なお、この場合違う方のみ途中経由地を書いて、本線の方は全く書きません。

 

今度は横浜市バスバージョン。まずは最近めっきり見かけなくなったローマ字併記の無いヤツ。
1)


今では殆どローマ字が併記されている。
2)


経由地表示そのA ローマ字無し時代
3)


経由地表示そのB ローマ字併記 おまけに黄緑字
4)


経由地表示そのB ローマ字併記 濃い緑字の場合
5)


経由地表示そのC ローマ字併記 経由地が1段
6)←浅間町のハイブリット限定


経由地表示そのD ローマ字併記 経由地が2段
6)←どうせなら逆廻り循環も→


最近作った幕より。

まず32系統から。今でも大回り経路には変わりはないが、一本松小学校発着時代はむちゃくちゃで、現在の大回りから、開港資料館前をいちいち通る大回り経路、そして日の出町までまた引き返し、一本松小学校に到着してみれば何のことはない、境之谷を脇道にそれただけかよ、という大回りの度が過ぎたすばらしい路線だった。今では、短縮し、車も小さくなり面白みは薄れた…といっちゃ失礼か。

60系統もトカゲの尻尾切りのようにどんどん短くなった。最長時代は藤棚で、保土ヶ谷駅どまりとなり、最終的には保土ヶ谷橋交叉点の渋滞回避のために実質弘明寺折返となった。(実際は南区役所循環方式)このバスも、磯子のものすごい山道を登っていく。

かつて市バス権太坂・狩場町近辺の大動脈といえば28系統だった。今となっては見る影もないが、現在の77系統のほぼ半分はもともと28系統だった。それが28系統の山下ふ頭撤退からなだれのように区間便が77系統に振り分けられてしまい、現在では28系統の陰に隠れて保土ヶ谷営業所担当の77系統の入出庫・区役所対策路線として細々と生き延びている。とはいっても、どういうわけか28系統で往復する運用もあり、なんだかわけが分からない。212系統と似たようなもんか。

28系統の野庭営業所担当分は、経由地表記を行っていた。そういえば私の幼少のころは、経由地表記を行っているのがこの野庭営業所担当分しかなかったような気がする。または滝頭の車か。どういうわけか、保土ヶ谷駅止まりは「保土ヶ谷駅」と表記し、平和台どまりも「保土ヶ谷駅・平和台」と表記していた。

82系統は洪福寺と浅間下の渋滞と神奈中と競合さえしなければ存続していた(むちゃくちゃ言ってますぞ、お客さん)が、94年の改正で過去帖入りしたが、98年ごろ、同じく横浜駅西口発着路線として再利用された。ふそうの82系統を見ると変な気分になる。

28系統にまた戻る。経由地表記を全くしないのは保土ヶ谷営業所のしるしで、晩年は山下ふ頭入口どまりといった幕も刷られた。しかし、どうして野庭営業所が山下ふ頭入口どまりで、保土ヶ谷営業所が山下ふ頭まで行き、野庭営業所は日曜に一本、新県庁前どまりという珍妙な行き先を作ってくれたのか、未だにわからない。誰か教えて〜。

106系統はまたロングランな路線である。94年頃の長大路線の分割にもめげず、210系統の大増発にも大して負けず、3・5・39・77・95系統といった長大路線の本数が軒並み減っていく中、何とか持ちこたえている。ただ、これを削ったら、権太坂・狩場町・瀬戸ヶ谷町・久保町周辺の人間はどうやって桜木町・関内方面に出るのだ、という問題が出来上がってしまう。それが106系統を持ちこたえさせている原因である。そういえば、106系統の幕も変わっていて、「元町」境木中学校と、単に「境木中学校」の二種類がある。別に保土ヶ谷駅東口発着のみが経由地なしの幕を使っているわけかといえばそういうわけでもなく、どうやら途中で「元町」境木中学校の幕を経由地表記のない「境木中学校」に変えているようだ。とはいっても鬼の霍乱かなんかで、ついたままで境木中学校に到着する場合もある。それはそれで面白い。

5系統洪福寺行きも、今では過去帖入りし、保土ヶ谷車庫行きとなった。今では洪福寺どまりは浜5 交通裁判所循環の洪福寺ぐらいである。

75系統は唯一、どの市バスの系統とも交わらない。全長2km未満の短い路線のせいか、起終点が同時に載っている。最近では分けたものもある。

71系統はまぁ、おなじみということで。南部地区の循環路線はこういった表記をする傾向があるようで、新規にできた206系統も、こういった表記の仕方をする。

あとの二つは、ご愛嬌。ローマ字併記でないと、丸ゴシックは姿を消し、普通の文字になる。



(補充)少々昔の方向幕たち
2系統の嘗ての幕

2系統が朝夜も運転していた頃(といっても10年ぐらい前)のラインナップは、朝と夜が県庁前止で昼間が港湾病院までだった。関内駅北口に関しては不明。行先に関しては現在の79系統に近い。その上は全営業所掲載の37系統。


東戸塚を走った系統

東戸塚駅開業に伴いできた系統。203は現行通りで、204が上永谷駅経由、205が保土ヶ谷駅を結ぶモノだった。204/205双方共に本数は少なかった。港南営業所も担当していたかは不明。因みに、205系統保土ヶ谷駅行きの終車が21:25で、保土ヶ谷駅まで市往復してから204系統で上永谷駅まで行き野庭車庫まで回送になるため、204系統の東戸塚駅発の終車は遅く、22:30過ぎだった気がする。

 右の写真に移って側幕。205系統の保土ヶ谷橋発?の幕がある。因みに、保土ヶ谷橋は行先としての設定は見られず(保土ヶ谷橋発の設定も不明だが幕にある以上…)恐らく2系統で上大岡駅→回送→保土ヶ谷橋→205系統→東戸塚駅としたのではないかと考えざるを得ない。

 

53系統の幕

最後まで戸塚駅に来ていた系統。戸塚駅から上永谷駅を経由して上大岡駅まで向かう。本数は少ない上に、途中止りの運用もあり、通しの車はもっと少なかった。戸塚駅発最終は、吉原交叉点まで行き右折、港南車庫へ回送入庫する。その為、この後のコマには「回送車」が用意されている。53系統は、国道一号の渋滞と138/139の延伸に伴う増発の代替として、40系統と一緒に過去帖入りした。

 

69系統

特徴としては、系統上の「共通定期券取扱車」表記があるものと無いモノにわかれている点である。69系統も昔は戸塚駅まで来ていたが、路線短縮により芹ヶ谷以西が切られた。昔の69系統は大まかにわけると戸塚駅発着(〜上大岡駅)と港南台駅発着と磯子駅発着(両方ともに〜上大岡駅〜芹ヶ谷)の三種類に分かれていた。但し戸塚駅と磯子駅発着に関しては一日1〜2本程度、戸塚駅〜上大岡駅〜磯子駅というロングランがあった。このうち磯子駅発着と港南台駅発着分に関しては江ノ電バスと(磯子駅〜打越〜上大岡駅間で)共通定期券を取り扱っているが、戸塚駅発着分に関しては神奈中バスと共同運行していたものの、共通定期券は取り扱っていなかった。その為、上大岡駅で幕を変える。芹ヶ谷方面なら「共通定期券取扱」無しにして、打越方面なら「共通定期券取扱」表記をつけた幕になる。これが港南台駅発着になると、港南台(なし)打越(あり)上大岡(なし)芹ヶ谷と、3回幕を変える。このようなパターンは107系統でも見ることができる。


107系統の幕

69系統と原理は同じ。一番上のほうは随縁寺〜金沢文庫駅西口で使用。その他珍妙な行先がいっぱい。

 

40系統

大昔は大船駅まで行っていたものの、どんどん短くなって本郷台駅となり、最後には138/139の増発対策によって消滅してしまった40系統。あとは30系統上永谷駅発着便の登場により影が薄くなった71系統平戸行。そして始発一本のみの港南車庫発磯子駅行。あと最終の屏風ヶ浦駅止。ただし前幕には『屏風ヶ浦』と、何故か「駅」が抜けている。


 

138/139系統

その40/53を巻き込んだ138/139系統であるが(←トゲのある書き方)、嘗てはこのような路線だった。一応循環線と小山台入庫と2パターンあったことがわかる。更に右に移すと、フォントが細かった時代と緑が濃くなった時代とあり、上の深夜バス平戸行と比べると結構面白い。

 

30/71系統

30/71系統は共に上大岡駅循環線だが、71系統のほうが本数は多い。此処でわからないのは71系統は両回り区別がつかないのに対し、30系統は矢印表記で区別がつくようになっているが、これは上永谷駅で、内回り外回りが両方入ってきて、非常に紛らわしいからだそうです。それで神奈中もその対策の幕を入れているのだということが分かります。(Sさんより情報を戴きました。ありがとうございました)


トップページに戻る
神奈中に進む