権太坂

東海道線で東京から西に向かうと、保土ヶ谷を過ぎて少々景色が変化したことに気付く。今まで建物の中を走っていた線路はいつの間にか緑に囲まれている。平坦な線路も上を向き始めた。程なくしてトンネルをくぐり、牛舎を過ぎれば突如として今までと同じような建物に囲まれた景色に戻っていく。
このまま乗っていけば、小田原までトンネルは1つしかないことに気付くだろう。因みに、くぐったトンネルは”清水谷トンネル”という、現存最古のトンネルである。
東海道線自体は権太坂を通らないが、道路も凡そ似たような状況である。東海道を日本橋からテクテク行けば(国道15号〜1号)、突然やってくる坂道が権太坂なのである。

権太坂の由来は2つある。一番有力な説は権太坂の土木工事を担当した藤田権左衛門の名が転訛してついたというもの。もう1つは俗説で、急勾配にヒィヒィ言った旅人が「この坂はなんていうんだい」と近くの百姓に聞いたところ、耳の遠い百姓は自分の名前を聞かれたのと勘違いして「おらぁ権太だ」と答えたところから来たというもの。人によってはこれが大名だったりするのですが、大名だったら普通頭下げてない?ということで、一応旅人ということに。

江戸時代、権太坂は江戸から西へ向かう際の最初の難所だった(多摩川越えはこの際無視)。距離的にも日本橋から40km程度の地点だったため、健脚ならその日のうちに権太坂を越え戸塚で宿をとり、明日に備えたいという場合は手前の保土ヶ谷宿か、風光明媚な神奈川宿で宿を取ったといわれている。

現在国道1号にある権太坂は旧道と比べなだらかであるものの、毎年箱根駅伝をにぎわせている。バス停区間等で勘案すると、権太坂〜権太坂上を権太坂と見ていいのだろうが、時々狩場町〜平和台も権太坂と解されることもある。実際には違う...と思うのだが、「じゃぁ何坂ですか?」といわれると答えに窮する。権太坂〜品濃口は旧道からそこそこ離れた区間であるので、それほど歴史がないこともあるからかもしれない。

2014.12.28 加筆修正

旧道を歩く(境木→元町橋)
  まだ暗闇坂が本当に暗かった頃、境木地蔵尊周辺がここまでひらけるとは思いませんでしたが、現在では境木の一里塚と境木の地名と由来となった武相国境の境之木(境之谷ではない)があったりとある程度整備されるようになりました。

で、境木中学校折返場を左折します。
境木と言えばおじぞうさんもなか。時々保土ヶ谷の駅ビル入口で和菓子を売っています。
境木側の眺めです。山あいがよく見えます。
国道1号側の眺めです。国道1号を走っているとそんな山深いと思っていませんでしたが、よくよく見るとやっぱり山深いです。
参考画像
上を眺めたところ。意外と交通量が多い。
  いつの間にかこんなのができてました。
ていうかちゃんと正面から撮ればいいものの、一部欠けてます。
旧道権太坂の中腹から下を望む(?)。左に隠れているのは光陵高校。
さらに下るとこんな感じ。
  勾配がきつくなりはじめるところに石碑がありますが、ついでに先でJR線の耐震工事をしているようです。

権太坂の途中はバイパスに抉られています。スズキの先にはうっすらとランドマークタワーを拝むことができます。花火のときはそこそこ綺麗な景色なのではないでしょうか。駅から遠いのとバスでも最終的には急坂を登る必要があるのが玉に瑕ですが。



坂をおりきったところ。坂の途中には改修記念碑、また上のような案内板も建っています。

国道一号を歩く
権太坂バス停。やっぱり山深いか。
権太坂上交叉点。旧道と比べてあまり坂らしさが無い。
昔はこんな車もよく通っていました。
年に一度の風物詩なのかどうかは不明です。
インターネッツで権太坂46(引用符付き)で検索するとそれなりにヒットします。
何故か不動坂と引越坂ではヒットしませんが(着眼点がおかしい)、権太坂46を思い出す際は坂だけが当たっているとは思わずに横46系統のことを思い出してあげてください。
写真はまだ横46がそれなりに本数があったころで、お131がツーステだった頃です。

今度は狩場町から平和台へ下るところ。こちらの坂道のほうが急にできている。因みに、箱根駅伝のスポンサーであるサッポロビールの集積場?があったため、この地点は確実にテレビ中継される。丁度選手がここを通りすぎてからCMを迎えるので、ここから先、柏尾の辺りまでテレビ中継は途絶えることがある。

※現在はパルシステムの倉庫になりました。
平和台折返場交叉点。この先も山谷交叉点近くまでなだらかな下り坂は続く。

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